昭和40年10月14日 夜の御理解
信心をわからして頂き、信心をさせて頂いて、本当の意味で信心生活にならなければ馬鹿らしい、信心生活に信心にならなければ、損だと言う位の所までですね、信心意欲が伸びてこないと信心の楽しみ、ただ、時々その自分の気分の向いた時だけ、金光様有難うございますと、言うのでなくてです、私いつも夜の御祈念に、思うんですけれども、実にこの夜の御祈念がその、
やれやれ、もう後は寝るばっかりだと、と言うその今日も一日済んだと、もう後は寝るばかりだと、言ったような意味合いでの、御祈念であってはならないと、夜の御祈念には夜の御祈念にです、一日の信仰体験が、活き活きとしてです、本当に自分の心に感じる事、または話しでもさせてもらわなければ、おられない程の信心体験と言うものが、一日の中に出けて来るような、
おかげを頂く為にです、心を神様にいつも、向けておかなければだめだと思いますね。そう言う繰り返しの生活をさせてもらわんと、信心が成長いたしません。信心が伸びません。ね、あー夜の御祈念の時間になったな、御祈念がすんだら後は休むばっかりぞと、ただそれから夜の御祈念がです、もう兎に角この御祈念がすんだら、寝るばっかりだ。だからもう、御祈念が眠むなって来る。
あたくしは今日、つくづく思ったんですけど、この頃お酒を頂く機会が多いもんですから、どうもあの夕食の時に御神酒を、例えばお相伴の時にでもしてはいけないですね。あたしはこらもし御神酒を頂くならば、寝がけに頂く事にしたらよかろうと思って、どうも寝むけがついていけませんです。ね、だからこれではあの本当勿体ない話しですから、もう一日を締めくくらして貰う所の、
夜の御祈念にです、こんにちもずうと朝から、御祈念に掛かるまでの事を、じっと思わして頂いて、あの事この事が、信心、心の中に感じられる。同時にあたくしが思うのは、ささやかな信心修行で良いから、心の中にひとつの懸けた信心修行が、ひとつ成されてそれが一日を貫いておると、言ったようなおかげを頂くと有り難いですね。これは有り難いです。だから信心には、
どうしても修行が付きものと仰るですから、修行せんならん、だからその修行が楽しい、ですから夜の御祈念の時に、今日の修行の言わば、あー決算報告とでも言うですかね、今日一日の。ね、こう言う修行させて頂きよるとですね、こう言う体験が生まれさせて頂いた、感じさせて頂いた、と言う事をです、神様に報告申しあげれる所の、意味合いに置いての、勿論一日を、
平穏無事に、または様々な中に、おかげを頂いた事を、神様にお礼を申し上げると言うのが、夜のま御祈念なんですけれどもです。ね、それがもう、おざなりと言うですか、もう毎晩毎晩習慣的な御祈念になっちゃならない。皆さんがお家で御祈念をなさるでも、お広前出て御祈念なさるでも、また教会家庭の修行させて、頂いているものがです、夜の御祈念に今日一日の信心体験をです、
神様に頂いたそのお礼を、申しあげねばおられない特別な事柄や、特別自分の心にだけ感じた事やらをです、お礼を申しあげさして、頂けれる楽しみを持って、御祈念にかからせて貰うような、おかげを頂かなければならない。だからそう言う御祈念の、その内容を持ってるのだから、御神酒でも頂いてです、眠気でさして神様に通うたやら、通わんやら分からんような、
お届けであってもいけないから、ここん所がわたくしは、信心の精進じゃないかとこう思うですね。御祈念させて頂く前に、御神酒を頂いとる。したら人間がだら気がくる。ね、眠気が来る、せっかく日に日に頂いた信心体験も、なんやらかんやら分からんなり、神様にそれを通わす事のでけないで、しまわなければいけない。さっきお食事の時に、古屋さんが何か言っておられましたんですけど、
この兎なんかを狩人が撃ちますね、必ずその当たれば、あたったで手応えがあるとこう言うんです。おかしいちいうが、不思議な事ですね、とおく離れたその獲物を撃つんですよ、当たらなかったら手応えがない、当たった所に確かに手応えがある。こげん。あたくしが神様に向かって御祈念をさせて貰う時です、はあー今日の御祈念は神様が、受けて下さった喜んで下さったと、
言ったようなです、手応えのある信心または御祈念、させて貰わなきゃつまらん。折角夜の御祈念にお参りして来るんでございますから、この事を神様に聞き届けて頂くんだと、ね、この事を聞き届けて頂くんだと、今日一日の信心体験を神様に、お礼なりお詫びなり信心体験を織り交ぜてから、その事になって来るのですけども、その事を神様が受け取って下さったんだと、
言う言わば撃って、手応えのあるようなものをです、頂いて帰れるでなければ、夜の御祈念なら夜の御祈念にお参りした、値打ちはないんじゃないかとこう思うんです。ね、勿論信心体験がその更に、活き活きとして生まれて来る為にはです、あたくしどもが何事にも実意を持ってです、信心にならせて頂かなければ、またなにかささやかな物でも良いから、ね、その事実を貫き通す所の、
なにかささやかな信心修行が、なされて行かなければならないと、言うようなあたくしは日々、そう言う信心生活。それならいよいよ信心が楽しい、そして有難いものになって来るとこう思いますですね、皆さんどうでしょうか、皆さんの今晩の御祈念に、皆さんがお礼を申された事がです、神様が受け取って下さったと、手応えのあるような御祈念が出けた人が、何人あるでしょうか、思うてみなきゃいけませんね。
おかげを頂きました。